伊藤三時のいる書斎

生きるとは愛でることである。誰かの言葉です。

『接客をする上で心がけていること』を少し深く考えてみた

久しぶりに質問箱を見たら

『接客する上で心がけていることはありますか』との質問が来ていました。

 

これに対して

・喋りすぎない、無理に喋らないこと(←お客様にも同じことが言えますね、無理に喋らせようとしない)

・人を感動させることを第一に考えない

・ある程度無個性であること、個性のみで勝負しようとしないこと

・接客であるない問わず『戦わない』こと

 

と回答したのが私なのですが、この考えにちょっと深めに切り込んで見たいと思います。

ちなみに〜しない、という言い回しが多いですが、『〜するな』よりも『〜しなくていい』という意味合いが強いです。

 

・喋りすぎない、無理に喋らないこと(←お客様にも同じことが言えますね、無理に喋らせようとしない)

 

これはそのままであり、そして自戒です。そもそも自分は喋りすぎる部分があるので、多少無口なくらいがちょうどいいのです。そして静かに話すこと、これを忘れないようにしたいです。したい、の領域なのでまだ完璧にできているかはわからないですが。

『何かこの子に話せる面白いことがあったかな』と、お客様を焦らせてはいけない。第一として、お客様は、人間は、いてくれるだけで素晴らしいのだから、あなたが焦る必要はない、『喋りに依存しない』。ひたすら空気までも楽しんでくれれば良いのよと、そう伝えられるような接客ができればと思ってます。

 

・人を感動させることを第一に考えない

 

『人を感動させたい』が優先されると、人やお店は無慈悲になります。と思っています。そもそも、人は勝手に感動したり、救われたりするものです。そこに能動的になってしまうと他の部分がおろそかになってしまうと思っています。

完璧な一日など存在しないように、完璧なお店も存在しないのです。完璧に見えても確実にどこかにボロがあります。それを見るか見ないかは人次第、見る人は見るし見ない人は見ない。

感動は、あくまで結果でしかなく、その人次第でしかない。このことは胸に刻んでおきたいところです。

 

・ある程度無個性であること、個性のみで勝負しようとしないこと

 

ここは『推されている』人間としては矛盾する考え方になりますが、私は無個性です。なので私に対して魅力を感じてくれている人の意見をかなり自然に否定してしまう時があります。前述したように、人間はいてくれるだけで素晴らしいのだからいいんですけれどね。

まぁそれはともかく。

この世の中にあるお店には、お客様を主人公とすることを前提として、『無個性』を演じることを求めるお店と、そうではないお店があると思います。そして、無個性であることは多くの仕事で求められます。それは一部のメイド喫茶でもそうでしょう。個性ある自分、無個性の自分、私はそれを基本的には使い分けています。

仮に全て個性のみで勝負しようとした場合、個性がなくなった時にどうするのか、『無個性を求められた際』どうするのか? 私はそのリスクを常に考えて行動するようにしています。

個性は個性でしかありません。

 

・接客であるない問わず『戦わない』こと

 

これは私の生き方でしかありません。戦うことは、乾くことです。戦うとは、主に下に書いたことと真逆のことをすることです。

『何も否定しないこと』

『でも、だから、だって、を多用しない』

『誰のことも一度受け入れる(その人によほど棘がなければキズはつかないはずだから)』

『逃げることを忘れている時は人に教えてもらうこと』

『報告、連絡、相談は仕事に限った話じゃない』

 

余談ですが、つい最近友人に言われて気がつきました、私には『マウンティング』がわからないようです。笑 わからないので、もししていた場合はごめんなさい。

 

以上、といった感じです。

 

今日はお母さんが買ってきてくれたフラペチーノと、自分で入れたアイスコーヒーが美味しかった日でした。