伊藤三時のいる書斎

生きるとは愛でることである。誰かの言葉です。

禁止事項

昨夜あたりから胸痛がひどかったので病院に行ったら薬と禁止事項が増えた。

簡単に言うのであれば『心拍数の上がること』はしないことである。

 

昨日から記録を見た際に『あまりにもこれは動きすぎでは、人とも連絡を取りすぎているし、刺激の多い生活がすぎる』と言われ、半分疑いながらも半分くらいは納得している。

〜から連絡とか、確かに細かく書いている分多いので見た人はそうも思うだろう。なにぶんSNSというものがあるので連絡は取りやすく『心拍数の上がる』行為であることは私にとっては確かであった。

指摘は、多くの情報が流れて来るのと、私の場合生まれる『答えなくてはならない』という義務感のために刺激が強すぎるというもの。ただ直接人と会って話すのは大丈夫だということだったのでそれは安心できた。大勢人が密集するような場所はまだ避けた方がいいとのことだったので、仕事にはまだ制限が出ると思う。この痛みが消えるまでは。

 

『心拍数が上がること』は私にとっては元気が出ることではあるので少々ショックはある(運動を避けるためにカフェインと筋トレはしばらく控えることとのことで、まぁ筋トレはしばらく緩めに続けるけれど)。何より、暑さと低気圧でダウンしやすい時期なのと、元から人から刺激を受けやすすぎるので仕方ないんだそうだ。

 

とりあえずの所は内服薬を多めに処方してもらうに限ることになった。

 

 

薬と体重。変化してゆくこと。

 

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一年前、12月くらいかな。当時私は本当に太っていて、体重が54キロありました。私の身長から計算するとギリギリ肥満くらいあり、何をしても体重が落ちませんでした。


その時飲んでいたお薬は、ミルタザピン。副作用として『太る』というものがあることを、当時は知らされていなかったのです。

というのも処方された当時声が出なくなってしまい、漢方薬では回復の見込めない状態だったため、そのお薬になりました。結果として私は食欲が増えてしまったのとシンプルに薬のせいで体重が増加。友人宅で体重を計る機会があった際(みんなで遊びに行った先に体重計があったのです)、54キロというこれまでになかった数値を出したことに愕然としました。(過去の私を知る人には『全体としてむくんでいた』と伝えられました)


それから体重を計るために体重計を買い、脂肪燃焼スープで痩せようともしましたが、2キロくらいしか落ちませんでした。


今私が自撮りで腹筋の写真をあげたりしているのは笑 自己満足もそうですが『変われたんだなぁ』という変化を楽しめるようになったからだと、私は考えています。

逆に、どんな理由でどんな変化をしたくても、変わる過程で何か引っかかりを感じるのなら、それは本当に自分のためになるのか、考えてみてもいいんじゃないのかなって思います。


とりあえず、薬のせいで痩せられない人、困っている人はこの世に山ほどいます。

薬を変えるだけでも痩せられますし、副作用でそういうことがあるということを、そもそも私みたいに初め知らないで飲む人もいます。まずそういう持病があって薬を飲んでいる人はお医者さんに相談してみるといいです。


なによりも言いたいのは『変わる手段はいくらでもある。けど今のあなたにしかない良さもあるはずだから、今すぐ無理して変わる必要ないよ』ってことです。

荒れた天気、手紙の返事

低気圧が来たのでやられている。珈琲一杯だけ飲んだのに落ち着かないのはそういうことかと勝手に納得していた。


こういう時はアイデアマンになれるが、性質上衝突も多くなるわけで、今日はよく話す友人と少しばかり衝突があった。まぁここに特筆するべきことでもないし本人も衝突とまで深く考えてはいないだろうが、私にとっては衝突といえば衝突、若干ながらも気圧も加味してストレッサーにはなっているだろう。こういう日もある、仕方のないことである。ので再処方された薬を飲んで一度寝ることにした。

 

熱は出切ったが治りきらなかったようで、まだ喉の腫れが若干残っている。気にして保健所まで連絡をしてから病院に行った。一応また検査をし、特にこれといって喉以外は異常なく、強めの抗生物質を処方され、多分これで喉の腫れくらいは大丈夫だろう、とのことであった。


手紙の返事を書くのが唯一最近の癒しである。お気に入りの音楽を聞き流してそれを歌いながら書く。歌いながら書くんかい、とか突っ込まれそうだが本当に時々歌を歌いながら書く。ただそれだけである。変わったことはない。

一通そろそろ出来上がりそうだが落ち着きを入れて最後の文を書き上げたいので今から眠りを一度入れておくことにする。送るのが楽しみである。


私もシーリングスタンプを買おうか。少し迷う。

居心地、共有

とある人とお話しをしていて、『居心地とは共有である』という結論がひとつ出ました。

 

たとえばの話、とあるバーで美味しいウイスキーを『美味しいですよ』と勧められて、実際に美味しいと感じた。『美味しいですね』と自分が言って、『そうでしょう』とマスター。これは、美味しさの共有です。


たとえばの話、とあるカフェでスタッフさんとお客様が会話をしています。お客様の話題とスタッフさんの認識が繋がりました。スタッフさんとお客様の話が盛り上がります。これは、話題の、価値観の共有です。


たとえばの話、とある喫茶店でお客様がいて、マスターは静かに珈琲を淹れたり、お仕事をしています。注文以外では全く会話がない。お客様はそれを楽しんでいる、リラックスしている。マスターもこの状況で仕事に集中しており、フラットな状態でいられている。これは、環境の共有です。

 


『共有』の仕方が皆違うだけです。なので同じ場所でも居心地の良さは人によって変わるのですが、共通することは『誰か、何かと、なんらかを共有する』こと。それは居心地の『解』のひとつなのではないかなと思います。

 


あなたにとって居心地の良さとは何ですか?疑問に思っている方は、色んな部分を分解して考えてみるのも良いかもしれません。

『接客をする上で心がけていること』を少し深く考えてみた

久しぶりに質問箱を見たら

『接客する上で心がけていることはありますか』との質問が来ていました。

 

これに対して

・喋りすぎない、無理に喋らないこと(←お客様にも同じことが言えますね、無理に喋らせようとしない)

・人を感動させることを第一に考えない

・ある程度無個性であること、個性のみで勝負しようとしないこと

・接客であるない問わず『戦わない』こと

 

と回答したのが私なのですが、この考えにちょっと深めに切り込んで見たいと思います。

ちなみに〜しない、という言い回しが多いですが、『〜するな』よりも『〜しなくていい』という意味合いが強いです。

 

・喋りすぎない、無理に喋らないこと(←お客様にも同じことが言えますね、無理に喋らせようとしない)

 

これはそのままであり、そして自戒です。そもそも自分は喋りすぎる部分があるので、多少無口なくらいがちょうどいいのです。そして静かに話すこと、これを忘れないようにしたいです。したい、の領域なのでまだ完璧にできているかはわからないですが。

『何かこの子に話せる面白いことがあったかな』と、お客様を焦らせてはいけない。第一として、お客様は、人間は、いてくれるだけで素晴らしいのだから、あなたが焦る必要はない、『喋りに依存しない』。ひたすら空気までも楽しんでくれれば良いのよと、そう伝えられるような接客ができればと思ってます。

 

・人を感動させることを第一に考えない

 

『人を感動させたい』が優先されると、人やお店は無慈悲になります。と思っています。そもそも、人は勝手に感動したり、救われたりするものです。そこに能動的になってしまうと他の部分がおろそかになってしまうと思っています。

完璧な一日など存在しないように、完璧なお店も存在しないのです。完璧に見えても確実にどこかにボロがあります。それを見るか見ないかは人次第、見る人は見るし見ない人は見ない。

感動は、あくまで結果でしかなく、その人次第でしかない。このことは胸に刻んでおきたいところです。

 

・ある程度無個性であること、個性のみで勝負しようとしないこと

 

ここは『推されている』人間としては矛盾する考え方になりますが、私は無個性です。なので私に対して魅力を感じてくれている人の意見をかなり自然に否定してしまう時があります。前述したように、人間はいてくれるだけで素晴らしいのだからいいんですけれどね。

まぁそれはともかく。

この世の中にあるお店には、お客様を主人公とすることを前提として、『無個性』を演じることを求めるお店と、そうではないお店があると思います。そして、無個性であることは多くの仕事で求められます。それは一部のメイド喫茶でもそうでしょう。個性ある自分、無個性の自分、私はそれを基本的には使い分けています。

仮に全て個性のみで勝負しようとした場合、個性がなくなった時にどうするのか、『無個性を求められた際』どうするのか? 私はそのリスクを常に考えて行動するようにしています。

個性は個性でしかありません。

 

・接客であるない問わず『戦わない』こと

 

これは私の生き方でしかありません。戦うことは、乾くことです。戦うとは、主に下に書いたことと真逆のことをすることです。

『何も否定しないこと』

『でも、だから、だって、を多用しない』

『誰のことも一度受け入れる(その人によほど棘がなければキズはつかないはずだから)』

『逃げることを忘れている時は人に教えてもらうこと』

『報告、連絡、相談は仕事に限った話じゃない』

 

余談ですが、つい最近友人に言われて気がつきました、私には『マウンティング』がわからないようです。笑 わからないので、もししていた場合はごめんなさい。

 

以上、といった感じです。

 

今日はお母さんが買ってきてくれたフラペチーノと、自分で入れたアイスコーヒーが美味しかった日でした。

七月という名の地獄、短いコードしかない部屋

蒸し暑く風の強い昼下がり。七月がやってきた。

この数字がやって来てしまったことに私は強く恐れを抱く。


七月と八月はどうも私には向かないようで、すぐに死のうという思考にいつもなってしまう。暑さにやられるのか、それとも自己嫌悪か、分からないままに薬を大量に飲んでしまったり、充電コードやズボンで首を吊ろうとしてしまったり、打ち所が悪くなきゃ死ねもしないのに三階の部屋の窓から飛び降りようとしたりする。何故だろう、私にも分からない。分からないのだから誰にも止めようがない。家族に言っても分かってもらえない感情というか情動。その『止めようがない』を止めるための薬を、今は打って、飲んでいる。


私の部屋には長いコードが存在しない。長いコードがあれば首を吊ろうとした時にうってつけでしかないからだ。証拠とまではいかずとも、iPhoneの一メートルの充電コードで首を吊ったことがある。今これが書けているのは失敗に終わったからだ。


あるとして、強いて言うなら有線イヤホン。安い有線イヤホン程度ならば吊ろうとした時に自重で切れてくれるからだ。


今年は死のうとせずに済むだろうか?自分には何もないと、首を吊ろうと、薬を大量服用しようと、飛び降りようと、そんなことはせずに済むだろうか。何も分からないけれど、七月は来た。来てしまったなぁ。

病院と警察

病院に行った。(精神の方の病院である)


病院に行くくらいであれば問題なく、発熱後二週間自宅待機の決まりは今の所存在せず、独自ルールでしかないとの御達しを頂いたので、来週も普通に病院に行けることになった。訳あって十日分以上の薬は私には処方出来ない決まりなので助かる。

次の注射は十四日になった。丁度自宅待機が空けた時の話だ。もし上手く行けば自宅待機明けからは新しく仕事が始まる。頑張らなくては。


衣替えの季節である。母に夏服をそろそろ出して冬服をしまってと言われたが夏服は殆ど持っていない。冬服を詰め込もうとするととんでもないことになる。

そんな中新しい衣装が届いた。何処かの撮影で使えると良いのだが。f:id:itousanzi:20200630201511j:image


病院から帰る途中、目の前でウーバーイーツの人が落し物をしていった。全力で追いかけたが相手は自転車、追いつくはずもなく。ウーバーイーツが止まりそうな店をいくつか探してみたもののそれらしき人は見当たらず、諦めて近くの交番まで届けることにした。大事そうなスパイダーマンのマスコットだった。


マスコットのおかげで全力で走り、思いがけない場所まで行ってしまったが大丈夫であろうか。(色々と)


交番すぐ近くの珈琲屋でアイス珈琲ブレンドの豆が五〇〇グラム八八〇円で売られているのを見て衝動買いしそうになったが、大人しくしていることにした。今度買ってきてもらおう。